大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和39年(ワ)536号 判決

原告 長浜俊秀

被告 国

訴訟代理人 斉藤健 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、福岡地方検察庁検事井上允が、昭和三一年三月三一日原告を別紙要約書添付別紙記載の公訴事実により商法違反および詐欺の罪名で福岡地方裁判所へ起訴したこと、同裁判所は審理の結果昭和三七年五月一五日右各公訴事実につき犯罪の証明がないとして原告に対し無罪の判決を言い渡し、同判決は、検察官においてこれに対し控訴申立をしなかつたため、同月三〇日確定したこと(以下上記一連の事実を本件と称する)は当事者間に争いがない。

二、検察官の公訴提起が国家賠償法第一条にいう「公権力の行使」に当ることは疑いない。

一般に、刑事訴追による被告人の利益の侵害は、法に定められたところに従つて行われる限り適法であるが、有罪判決の可能性を欠いているにかかわらずなされた起訴は違法な公権力の行使であり、公訴提起について検察官に過失がある場合は、国はそれによつて生じた損害を賠償しなければならない。ここにいう有罪判決の可能性とは、犯罪の嫌疑が充分で有罪の判決を期待しうる合理的な根拠のあることを指し、これは起訴の段階においてあれば足りる。蓋し、起訴時と判決時とにおいては証拠の量と質について差異があるのが通常であり、かつ有罪判決と起訴の各段階においてはそれぞれ要求される心証の程度に差があると考えられるからである。従つて起訴された事実について無罪判決があつたからといつて、直ちに当該起訴が有罪の可能性を欠くものであつたとはいえない。

検察官としては当然に要求される捜査を尽した上収集された証拠を正しく評価し、違法な証拠があればこれを排除して経験則に従い、自由心証の許される範囲内で事実を認定しこれに正しく法律の適用をして右の意味における有罪判決の可能性があると思料する場合にのみ公訴を提起すべき職務上の義務がありこれを怠つて公訴を提起した場合は、検察官に過失があるといわねばならぬ。ただ、構成要件のあてはめおよび法律の解釈はいずれも微妙であり一義的にその正否を断定できないから明らかに不合理なものでない限り、判決との相違によつて直ちに検察官の過失を認めることはできない。次に、原告の主張する具体的な過失の内容について検討を加える。

三、請求原因事実三ノ(一)の点について

〈証拠省略〉によれば右各供述調書は乙第五号証を除き、その余はいずれも原告の署名押印その他の形式的要件を具備することが認められ、又、乙第五号証の供述調書のみ原告の署名押印を欠くことは原告が取調警察官から調書の内容を読聞かされ、内容について納得できるもののみ署名押印に応じ、しからざるものはそれを拒んだ所以と考えられ、むしろ本件担当警察官が署名押印について全く原告の自由な意思に委せたことを窺わせ、又〈証拠省略〉によれば、原告は検察官に対して警察において暴行、脅迫等無理な取調べを受けた旨の供述はしていないこと、本件の送付を受けた検察官井上允は本件事案の特質に鑑み、警察が収集した証拠を補うため約一月半にわたりさらに多数の事件関係人を取調べ原告については延べ四回にわたつて取調べたこと、同検察官は捜査結果を上司に報告し充分協議をした上、別紙要約書添附の公訴事実について嫌疑が充分あると思料して、公訴を提起したことが認められ、以上の事実に〈証拠省略〉を綜合すれば、本件担当警察官桜場進が原告に対し暴行、脅迫を加えて自白を強制し内容虚偽の調書を作成した事実は認められず又、検察官が右調書を充分検討することなく漫然とこれを証拠として公訴提起した事実もないことが明らかである。

暴行、脅迫を受けたとする原告本人尋問の結果は前記各証拠に照して信用できず、他に右認定を覆して原告の右主張事実を認めるに足る証拠はなく、この点についての原告の主張は理由がない。

四、請求原因事実三の(二)の点について

本件公訴提起当時、麻生義之介、伊藤八郎、伊藤剛平、伊藤伝之祐および高松光彦(以下上記五名を麻生らと称する)の記名捺印のある西日本国際スケート株式会社(以下スケート会社と称する)の定款および右麻生らがそれぞれ発起人として所定の株式を相当金額で引き受けた旨記載した各株式引受書が存在していたことは当事者間に争いがない。

ところで、当時本件担当の検察官として公訴を提起した証人井上允の証言によれば、同人は、現実に定款に記載された額の株金の払込をする意思や会社設立に活動する意思を欠缺する以上、たとえ定款に署名、押印したとしても商法上発起人ではないという法律見解を前提として右麻生らがいずれも会社の発起人たることあるいは株式申込証記載の数の株式を引受ける意思及びその株金を払込みする意思が全く無く、その旨を原告に明言し、その了解を得た上で名目だけの発起人になることを承知したにすぎず、従つて原告は、右麻生らが商法上発起人とはいえないにもかかわずら、あたかも真実の発起人として株式を引受けたかのように記載された文書を作成した上、これを行使したものと断定して別紙要約書添附の公訴事実欄中第一、に記載の事実について公訴を提起したことが認められる。

ところで、〈証拠省略〉を総合すれば、原告が右麻生義之介らに対し発起人就任方を交渉したこと、伊藤八郎、同剛平、同伝之祐については、同人らが原告の出資要請を断つたので、己むなく株金払込については一切迷惑をかけず、名目だけの発起人として定款に名を連ねて貰うことにしたこと、麻生については、同人が金がなくて払込ができないというので、右刑事事件の相被告人佐藤六郎において麻生の引受分の払込みを代つて為す条件で発起人となることの承諾を得たが、株式引受の額や立替金の返済の時期、方法については一切取決めをしていないこと、高松光彦については、発起人となることの承諾を得ただけで、株式引受額、その払込方法等については一切交渉していないこと、右麻生らの引受株式数出資額については、予め同人らに確かめることなく、原告と大森勝一が勝手に定めてその旨株式申込証用紙に記載していること、原告や佐藤六郎は右麻生らから株金の払込がなされないにもかかわらず、少なくともスケート会社創立前は一度も同人らに対して右払込方を催告することなく、専ら金融機関から右麻生ら引受分の融資を受けるために奔走していたことが認められ右の諸事実に鑑み、麻生らは金銭の出資については全く応じないかあるいわ引受金額を確約しないままに、いわゆる名義だけの発起人となつたものと推認することができる。

そして、発起人については、学説、判例上必ずしも一致した定義が与えられては居らず、検察官が採つた解釈も明らかに不当なものであると断定できない。

されば、公訴提起の段階において、右法律見解を前提とし、かつ、右諸証拠に基いて右麻生らを真実の発起人でもなく、又株式を引受けた事実もないと認め、右事実認定を基にして公訴を提起した検察官に過失があるとはいえず、この点についての原告の主張も理由がない。

五、請求原因事実三の(三)の点について

本件公訴提起当時原告主張のような記載のある各株式払込金保管証明書及び議事録が作成されていたことは当事者間に争いがない。

しかして福岡地方裁判所がなした本件無罪判決書謄本(甲第八号証の一)によれば、同裁判所は、検察官提出の各証拠により、本件株式の払込は単に一時的名目的に払込を仮装したものに過ぎず、商法所定の正規の払込の効力を生ずるに由なきものと認め、さらにスケート会社創立総会の席上原告が発起人として創立の経過を報告し、その席上、各発起人の引受株式及び一般申込人による引受株式については、いずれもその全額につき払込を了した旨報告した事実を認めており、この点に関しては同裁判所の事実認定と検察官のそれとは全く一致するのでありしかも〈証拠省略〉を総合すれば本件刑事判決におけるとほぼ同様な事実、すなわちこれを要約すればスケート会社の発起人らは金一八四九万五、〇〇〇円相当の株式を引受けたが、その払込は、原告らが岡本冷凍株式会社より右会社設立後直ちに返還することを条件に借受けた合計金二〇〇〇万円のうちから充当されたものであり、右借用金は右会社設立後三日以内にそれぞれ返還されたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。したがつて右払込は資本充実の原則に反し真実の払込とはいえないことは明らかであるが、同裁判所は更に進んで、原告の前記のような行為が商法第四八九条第一項所定の罪を構成するためには、犯意、すなわち当時原告において右株式の払込に関し総会に対してなした申述が虚偽不実であり事実を隠蔽するものであることについての認識を必要とするとの前提に立ち、この点に関する原告の公判廷における供述を重視して、原告の司法警察員に対する供述調書中犯意を自白していると見られる部分の記載は信憑力に乏しいとしてこれを排斥し、結局原告が創立総会の席上前記のような報告をなしたとしても同人においてその報告が不実であるとの認識を有していたことを確知し得ないとして故意に不実の申述をなしたとは言い得ないとの見解の下に右の点につき犯罪の証明なしとして無罪の判決を言渡したことは前掲判決書謄本によつて明らかである。

しかしながら本件刑事事件の捜査段階において収集された前掲記の各証拠、殊に前掲乙第五号証(原告の昭和三一年二四日付司法警察員に対する供述調書)中には「従つてこの福岡銀行が貸付けてくれた金一、五〇〇万円は全くの形だけの株式払込みであつたことは間違いありません。このようなことをすると多くの一般募集株主に迷惑をかけることがあるので、いわゆる「みせ金」は禁止されていることは十分知つていました」との記載があるのでこれらの証拠を総合すれば、検察官が原告に犯意ありとして起訴したことはあながち不当であるとは言えず、これを目して証拠の検討を怠り、いちじるしく事実を誤認した過失があつたとは到底断定することができない。

よつて本件刑事事件の公訴提起につき検察官井上允に職務上の故意または過失があつたことを前提とする原告の請求はその余の点についての判断を俟つまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩崎光次 浪川道男 福井欣也)

要約書〈省略〉

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例